今朝の神戸である。あの1.17が今年で17年を数えた。あの当時、「こんな悲惨なことが起こるのか・・・! これほど大きな災害は二度と起こらないだろう」と思っていたが、昨年の東北の大惨事を見て「神様はなぜこれほどに何度も日本をいじめるのか?」という気持ちになった。今年も静かに震災のことを噛みしめることにしよう・・・
さて古来日本は多神教で、神様、仏様、山の神、海の神、お地蔵様、えべっさんなどなんでもござれである。日本人が神様に対する考え方は、「今度の試験に合格しますように」と天神さんに行き、「良い人と巡り会えますように」と出雲大社で祈り、「死が二人を分かつまであなたを愛します」とイエス様に誓い、「商売繁盛!」とえべっさんで大金を投げ、「打倒巨人!」と守護神藤川様に手を合わせてきたのである。神様は至る所にいてくれて常に民から一方的にお願いするための存在というニュアンスが大きいのだ。
それに対してキリスト教さらにその源流であるユダヤ教では一神教である。日本とは神様に対する考え方がだいぶ異なるようだ。たとえばモーゼが民を率いて荒れ野に出ていくときは、神様の言うとおりに行動したらこれでもか!というくらい辛い仕打ちを受ける。またユダヤの民も彼らの神ヤハウエーに従っていたら次から次へと災いが降りかかる。これぐらい辛い目にあったら神様を信じなくなるだろうと思えるくらいのひどい仕打ちだ。しかし彼らは「神様がこんな仕打ちをするのは、何か理由があるに違いない。それは我々が特別な民だからだ。この局面を何とか乗り切ったらきっと良いことがあるに違いない」と考えて、神様を恨まずにずっと信じていくのである。
日本人は欧米人に比べて神様から辛い仕打ちを受けることに慣れていない。阪神大震災、東北大震災、これらは決して神様がわざと与えた試練ではないはずと思いたい。どうかいろんな神様、いつだって我々の味方のはずです!神様を恨む気持ちを抱かせないで下さい。これからも我々を優しく見守っていただきたく御願い申し上げます・・・m(_ _)m